関西人間図鑑  【第25回  

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ナチュラルウェイ
 大学時代は作曲を専攻した。
「クラシックから現代音楽まで作曲しましたね。でも、与えられた課題に取り組むという消極的な姿勢でした」
 在学中はもっぱら、ソロの有名バイオリニストのピアノ伴奏として、全国各地のコンサートホールをまわった。
「北は北海道から南は九州まで、沖縄以外はほぼ全国をまわりましたよ。大学には、作曲の勉強と称してね。ホント、全国行脚の日々でした」と苦笑する。   
 そんな折、コンサートホールをまわる沢田青年たちの評判を聞きつけた、あのブルースの女王・淡谷のり子氏に抜擢され、彼女の前座として演奏することになった。
リラックス
 ある日、所属していた事務所から、とあるオーディションを受けるよう指示される。それはNHK教育番組『にこにこぷんとあそぼう』の“歌のお兄さん”。
「内容を聞いてビックリしましたよ。だって、仮にこの仕事が決まったら、他の仕事は受けられないという契約だし、音楽は得意といっても、歌には興味なくって。一度もカラオケに行ったことがなかったですからね! それに、今まで子どもと接する機会がなくて、どう対応したらいいか皆目、検討もつかなくて……。だから、最初からオーディションには受かりっこないと高をくくっていたんです。いい記念になればというぐらいの軽い気持ちで、かなりリラックスして受けました。なのに……」
 リラックスしていたのがよかったのか、1996年の春、意思に反して、歌のお兄さんとなった。
「合格通知を見て、正直、困惑しました。なんで、歌と子どもが苦手な僕が? ってね。辞退しようか迷っていた矢先、マネージャーに言われたんです。役者なら、歌のお兄さんになりきればいいんだよって。その言葉に後押しされました。たしかに、ボクは俳優だからお兄さんを演じることはできる」


 


≪分類≫
タレント&絵手紙作家目 
マルチ芸術家

≪生息地≫
兵庫県伊丹市

≪年齢≫
36歳


≪分布≫
関西一円

≪活動時間≫
朝〜深夜

≪好物≫
旅行(特にフランス、香港)

≪相棒≫
愛車(6代目)

≪天敵≫
タバコ、風邪ウイルス

 
取材・文/松原 宏子