関西人間図鑑  【第13回  

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教科書そっちのけの過激派教師だった
 大学では経済地理学を専攻した。
「簡単にいえば、産業・経済活動が地域によってどのように異なるかを研究してたんです。卒業後も大学院に残ったんですけど、2年じゃ研究を終え切れずに結局3年。研究者か教師になりたかったかな」
 修論を抱えながら、大阪の高校で現代社会と地理を教える講師もしていた。当時の思い出を本当に楽しそうに話す。
「非常勤講師だったんで、好き勝手させてもらいました。昭和天皇の崩御に関するマスコミの報道についてどう思うかとか、シンガポールの高校の歴史教科書を読ませて感想を書かせたりとか。感想文の中からおもしろいものを選んで発表して、みんなで討論するんですよ。教科書はそっちのけでそんなことばっかりしてたなぁ」
 笑いながらメガネのブリッジに触れた。自らを過激派の教師だったという彼に、女子生徒たちは夢中だったことだろう。
仕事があればどこへでも行く
 ある日、願ってもない誘いが飛び込んできた。財務省系のシンクタンクを大学の先生から紹介されたのだ。
「数ヵ月は修論と講師を掛け持ちながら眠れない日々を送りました。シンクタンクでの最初の仕事はおもに土木・建設系の調査です。道路公団から高速道路建設による整備効果が知りたいといわれれば、周辺の人口や交通量などあらゆるデータをもとに分析するんです。ヒアリングを重ね、高速道路があればという仮説のもと様々な企画を練り上げる。こんな仕事ばかりやってましたね。本当は産業の仕事がしたかったんです。だから産業系の仕事を取るために奔走しましたよ。小さな組織でしたから、ひとりで大きなコンペに参加して仕事を取ってきても人手が足りなかったり。紆余曲折を経て、なんとか形になってきたというか。徐々に産業の仕事が増えていき、気がつけば年間にこなす仕事すべてが産業系になってましたね。そのころお世話になった人たちとは今も繋がってます。仕事があればどこへでも行ったので、全国の自治体にネットワークができましたね」たちは夢中だったことだろう。


 


≪分類≫
ネットワーク目 
産業振興科

≪生息地≫
大阪府交野市

≪年齢≫
41歳


≪分布≫
大阪キタを中心に全国津々浦々

≪活動時間≫
24時間365日

≪好物≫
おもしろいヒト

≪相棒≫
周りのみんな

≪天敵≫
自分で汗をかかないヒト

 
取材・文/岸良 ゆか